フィリピンの公用語が英語の理由は?フィリピン語とタガログ語は?

フィリピン

フィリピンに英語留学する人が非常に増えています。日本と時差が1時間でたった4時間で行ける手軽さとコスパの高さが注目されています。そんなフィリピンの公用語は英語とフィリピノ語となっています。でもなんでフィリピンで英語?そんな疑問にお答えいたします。

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フィリピンの公用語は、フィリピンの国の歴史、植民地下の事情と密接な関係があります。そしてフィリピン人にアジアの国なのにどうして英語が公用語になってるの?と聞いても明確な答えが返ってこない。そのくらいある意味、自然に文化にも歴史にも密着した言語事情があります。

フィリピンの言語事情

フィリピンは島国だが、いくつあるかご存じだろうか?実は7100以上の島からできています。また方言、direct と呼ばれる言語の数は100以上ともいわれている。(1)

その言語の中でもタガログ語、セブアノ語、イロカノ語、ヒリガイノン語 は話者約1千万人を超えていて、ボホラノ語、ワライ語、ビコラノ語、パンパンガ語などは100万~300万人の話者を持つともいわれている。これらは方言と称されますが、全く異なる言語となっています。ただし、イロンゴ語、セブアノ語、ワライ語はビサヤ語ともいわれ、異なる部分もありながら理解しあえる言語となっている。(2)

スペイン植民地下

セブに行ったことのある人は、ラプラプ像をみたことあるでしょう。

その昔、世界史でスペインのマゼランが人類初の世界一周を果たしたと教科書で出てきたのを覚えてますか?そのマゼランの最後はフィリピンのマクタン島でラプラプに殺されるのでした。そこから始まり、1898年にアメリカに売られるまで、フィリピンはスペインの植民地として300年以上扱われることになるのでした。

 

スペインはフィリピンを大航海時代のアジアの拠点として利用することが目的でした。まだほかのアジアの国のように国家が成り立つ前に、スペインが入植してきたため、ほかの南米のようなまとまって抵抗をするといった動きをする前に、カトリックの布教によって国民が統治されていってしまったのがフィリピンでした。

 

 

そんな時代だったので、村は教会中心のバリオ、プランテーションを持つ領主がスペインの植民地側の人間と利益を得る社会の中で、1863年にようやく公の学校が造られるが、これもスペイン語で行われていました。

建国の父と呼ばれるホセ・リサールはスペイン語とタガログ語を子ども時代から話し、のちに20数言語を習得するが、彼の著書もほとんどスペイン語で書かれています。民衆を解放しようとする行動が、植民地側の言葉を使ってするという何とも皮肉な光景となっています。

(2)(3)(4)

 

アメリカ統治下

リサールの銃殺後、アギナルド大統領が1899年にフィリピンの独立を制定しますが、アメリカはそれを認めず、統治権をスペインから譲渡されることになります。

スペインが布教を目的とし、またプランテーションなど搾取することが優先事項であったため、民衆の教育等は力をいれられていませんでした。アメリカは米比戦争で武力で鎮圧したのち、将来的な独立を約束してフィリピンのフィリピン人による議会等を許可していったのでした。

その中には公教育の拡充も含まれていたので、宣教師が送り込まれ、アメリカの学校制度が持ち込まれ、英語が教育として行われていったのでした。1935年に、英語も公用語として制定されました。

これが、フィリピン全土に英語の教育が広がっていった背景です。また、フィリピンの最初の憲法もこの時代につくられたのですが、スペイン憲法を真似ている部分が多く、スペイン語と英語を理解していないと自国の憲法がわからないという皮肉な状況も、この植民地下ならではの文化背景が引き起こした結果となっています。(2)(4)

 

アメリカ統治から日本統治、フィリピン独立に向けて

第2次世界大戦前に、アメリカからの独立をフィリピンが果たそうという動きになっていくのですが、ここで知識人たちが気づくのでした。

長らくスペイン語や英語を公用語として使っていたが、そのままであれば独立してもその言語のままではないか?自分たちの本来の言語から、国語を選定するべきなのではないか?となりました。

 

当時のフィリピンの有力指導者、のちの大統領マニュエル・ケソンはマニラ近郊で使用されている、そして自分も使用しているタガログ語を国語としようじゃないか、と動き始めるのでした。そして1939年に、”Wikang Pambansa” ウィーカンパンバンサ(タガログ語で国語の意)と制定します。(2)(4)(5)

国語制定、学校教育での問題

ここまでで、ようやく英語がフィリピンに普及したのちに、植民地から解放され、自分たちの言葉を取り戻したように聞こえるのですが… 島国の分断された文化だからでしょうか?すんなりとはいかないのです。

 

多数決を取ると負けてしまう話者数のタガログ語派 VS 母語ではなくて英語推しの ビサヤ語派

一番最初にご紹介した、フィリピンの言語状況でご紹介したセブアノ語。イロンゴ、ワライなど全部ひっくるめてのビサヤ語を話す人の数は、当時タガログ語の話者数より多かったのです。いわば、政治的力をもった人間が使用していて、権力の集中するマニラ周辺で話されている言語ということで選ばれたタガログ語に対して、このビサヤ語話者たちを中心として、英語でいいじゃないか!英語のほうが世界で使用されている言語だ、という主張でタガログ語を国語とすることに反対意見がでてきます。

 

憲法もタガログ語だけでは書けない

1987年の現憲法ではフィリピノ語と英語の両方が公用語として定められています。

また、学校教育においても2009年よりフィリピン語と英語に加えて小学校2-3年生には、それぞれの地域の方言と呼ばれる母語を使用してよいとなりました。つまりそれ以前は、教育の場で使用される言語が普段の生活の言葉以外で行われていたといことです。

語彙に限界のあるタガログ語

また、実際に算数、数学、あるいは科学や化学にまつわる単語がフィリピン語には存在しないため英語で教授するしかないという現状もあります。

また、もともとスペイン語が使用されていた期間も長いので、スペイン語が現地語化した単語やそのままで使用されているものも多数あります。時間や曜日のほかお金の単位などがそれにあたります(1)(4)(5)

タガログ語とフィリピン語は同じ?違うことば?

政府の専門家はすでにタガログ語とフィリピン語は同じであると言っています。教育現場では科目はFilipino フィリピーノと呼ばれているのでフィリピン語あるいはフィリピノ語が正式名称となります。

先ほど書いたように国語として制定されたときに、 ウィーカンパンバンサとして、のちにPilipino と変わり、Filipino と変わりました。日本で紹介される際も、ピリピノ語あるいは戦時中などはフィリッピンと表記されたり、ピリピンとその後表記されたりとしてきました。

そのように国が右往左往と、どう呼ぼうか、どの位置づけにしようかと試行錯誤をしている間も人々はタガログ、と呼んで使用してきました。テレビやメディアでも使用されるのは、タガログムービー、タガログドラマ、といったタガログという言葉でした。それゆえ、現在に至るまでタガログ語と使用している人が多いのです。

私もタガログ語通訳、と称することの方が多いです。日本でも官公庁ではタガログ語と呼んで使用されているからです。

さいごに

長くなりましたが、これでもかなり短く端折って、フィリピンの英語とタガログ語について説明、ご紹介しました。

フィリピンではビジネス文書等は変わらず英語ですし、ミーティングなどでも英語を使われます。上流階級の家庭では、子どもの母語を英語で育てるのも相変わらずあります。アメリカの番組や英語はそのまま字幕なしで、放送されていたりもします。

 

しかし、ひとたび親しい友人や田舎にいくとそれぞれの方言と呼ばれる言語を話し、またテレビではタガログ語でのバラエティーやドラマが毎日放送されています。

そんな多言語な社会の中で、日常学びながら、英語を実践使用していくところが、日本から留学して英語を学ぶのに適している環境と言われるゆえんです。フィリピンに留学や旅行などで訪れられた際には、どんどん真似して英語を学んで使用してください。そして、あいさつ程度でも、現地の言葉をいくつか覚えて使ってみてください。とても喜ばれて親しくなれる事まちがいないです。

 

脚注

(1)Language of the Philippines

(2)フィリピン

(3)ホセ・リサール

(4)Filipino language

 (5) Tagalog language

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