フィリピンとのなれそめ

フィリピン

こんにちは、スギさんです。

どうしてフィリピンなの?と聞かれるので、そのなれそめを書いてみましょう。

初フィリピンは21歳

始めて訪れたのは21歳のとき、もう28年も前の話。

学生時代、大阪のボランティア先の人ががフィリピンにストリートチルドレンの子どもたちの家を建てるから、手伝ってくれないか?と聞いてきた。フットワークの軽い私は、いいですよーとお返事。たったそれだけで、2週間行くことになった。

前世はフィリピン人?

5人くらいでフィリピンに向かい、現地では日本人女性がコーディネーターをしていた。その時はマニラとパラワン島へ滞在。

マニラをタガログ語を話すコーディネーターと歩いていると、街の角から同級生が出てくるような感覚がした。初めて来た街なのに、まるで昔から知っている、故郷のような心境になった。まっすぐ行くと教会が出てくるような、そんな錯覚まであり、コーディネーターに話すと教会は確かにあるといわれ、鳥肌がたった。

前世?に私この街にいたのかな?、オールドマニラの雑踏を歩いているのに、懐かしいという感情が湧いてくることに驚いた。

ブログのタイトル、前世はフィリピン人、はここに由来する。

マニラかメルボルン

卒業旅行に再度マニラにやってきても、やはり懐かしい感情は変わらなかった。

その後、大阪で就職したが、旅行ではなくて海外に住んでみたいという気持ちが大きくなった。海外に住んでみることは、若いうちに、そんな焦燥感に襲われていた。

安月給で蓄えた貯金は70万。行きたい国は2つ。オーストラリアのメルボルンかフィリピンのマニラ。

メルボルンは、学生時代に先輩を頼って行き、非常に居心地がよかった。しかし物価から考えると、長期で滞在できるのはフィリピン。できるだけ長く海外にいたかったのでこちらを選ぶことにした。

タガログ語を話したい

初めて訪れたときにお世話になった日本人のコーディネーターはタガログ語を話していた。英語以外を流暢に話す彼女がとてもかっこよく見えた。そして、英語が流暢なフィリピン人がタガログ語を話す方がもっと楽しそうに見えた。

住むならタガログ語を絶対身につけたいと、日本を出る前から考えていた。そのために当時の大阪外大インドネシア・フィリピン語学科の教授の研究室まで訪れて、どうすれば言葉を身につけられるか相談したりした。

外大ではマニラにあるカトリックのシスターたちに向けた語学学校を教えてもらった。インターネットのなかった時代だったため、とりあえず現地で申し込むという行き当たりばったりな計画で行くことにした。

情報もあまりなく、知り合いもそれほどいなかったが、なんとかなるだろうという根拠のない自信の元でタガログ語習得をすることにした。しかしこれはのちのちに大正解となり、どこに行ってもすぐに友だちができ、子どもともコミュニケーションがとれる最大の武器となる。

 

飽きることのない国、フィリピン

独裁政権マルコスに対して暗殺されたアキノ大統領の妻、コリー夫人を革命の旗印にエドサ通りを国民が大行進した日、Edsa People Power Revolution の記念日である1993年2月25日に長期滞在が始まった。

当時は、お金がある限り過ごそうかな、くらいだった滞在も結局4年過ごすことになった。その後、帰国して大学院にて再度学び直して、フィリピンの銀行に16年勤務するということになった。そう、28年も関わり続けてきている。

経済的な変化や文化の移り変わりをこの目で見て、実感してきた。そして現在に至るまで飽きることのない国。

人によって興味が違うように、相性の良い国悪い国がある。私は相性以上のものを感じたこの国、フィリピンにこれからも魅了され続ける自信がある。

まとめ

スピリチュアルなことに詳しいわけではないので、本当に前世が何であるかは知らない。

でも、たとえ勘違いや思い込みでも、ここ知ってる、と思ったその時の気持ちは鮮烈に残っていてその気持ちのまま既に28年たっている。

(28年も経ったら海が見えるプールサイドでお仕事ができるようになりました)

最初はただ懐かしく感じたこの国を知りたいとおもい、この国の人を理解したいという一心で学んだタガログ語(正式にはFilipinoフィリピノ語、という。しかし一般的にはタガログ語とまだ呼ばれることが多いので、このブログではこちらの呼称を使用する)で、私は今も仕事をしている。

この言葉をつかいこなす日本人はまだ少数派であるため、非常に重宝してもらっている。また現地で習得したことや経験と、専門知識として学んだ学問の両方を知っていることが私の強みとして活かされている。

これは、おまけでついてきたおもちゃに高値がついたような、思わぬありがたい付加価値。タガログ語なんて覚えてどうするの?と言われた時代には夢にも思わなかった。だから、もしこれを読んでいるあなたが、こんなことしても特にならないかもしれないな…と二の足を踏んでいることがあれば挑戦してみることをお勧めする。損得ではなくて、やりたいことをやりたいようにやったら、ご褒美が降ってくる。あのとき、周りのアドバイスを聞かずに心の声にしたがってよかったと心の底からおもっている。

 

コメント