まずは家探し!で始まったマニラ生活

フィリピン

こんにちは、スギさんです。

旅行と定住生活の大きな違いは、自分の住む城を構えるかどうかではないだろうか?

もちろんホテル住まいで長期生活をするケースもあるが、自分の生活空間を用意するのが大多数と思われるので、マニラでの4年間を振り返ってみる。

マニラで8回の引っ越し

4年間で8回の引っ越しは多すぎる。私自身、数えてびっくりだ。

引っ越しを繰り返すこととなったのは、誰とどこでどんな生活をするか、この期間に目まぐるしく変化したことが原因だ。また、携帯もネットもない時代で、電力不足のため1日8-10時間の計画停電が行われていて、水道電気電話安全が保障される場所を探すことが本当に難しかったのだ。

フィリピン人一家とシェアしたり、日本人とシェアしたり、そしてフィリピン人の元ダンナとの生活、子どもを持ってからの生活と形態がかわるごとに住むところが変わった。私はまるで脱皮を繰り返すかのように、短期間に人生の変化ポイントを次々と通過していったような季節であった。

マニラで家の探し方

当時も今もあまり変わらないのだが、一番確実な探す方法は知人の紹介。次にapartment for rent 貸しアパートなどと掲げている家に直接訪問すること。若い世代はやはりネットで検索もするようだ。昔は新聞広告を見て、電話をかけて見せてもらいに行くことも多々あった。

新聞の広告は小さな欄に必要事項が短縮して書かれていた。

ClnApt3fstrongH2OP20Tw/otel  ➡   Clean Apartment 3F PHP20,000.00 without telephone

清潔なアパート3階 十分な水道あり 1ヶ月2万ペソ 電話無し

という意味なのである。

また、軒先に出されている看板は

House for rent/sale 賃貸/販売用一軒家

Apartment for rent 賃貸アパート

Room for rent 部屋貸し

Bed spacer for rent ベッドスペース貸します

となっている。

最後のベッドスペースは6畳くらいの部屋に2段ベッドが2つおいてあり、ベッドとせいぜい小さな洋服掛けと棚くらいのスペースを貸している。これは田舎から出てきた学生、あるいは平日マニラで働き週末実家に帰る子たちが利用していた。

コンドミニアム?一戸建て?

日本企業の駐在員たちは商業地区付近の高級住宅地のプール付きの一戸建ての住宅、あるいはコンドミニアムに住んでいた。

フィリピンでは外国人が土地を購入することは法律上できない。ただしコンドミニアムは可能であるため、定住を決めた日本人の中にはコンドミニアムの購入をする人も結構いたりした。

インフラの価値を実感

日本に住んでいると、蛇口をひねると水が出てくるのが当たり前。ガスもスイッチ一つでついて、電話は家電でも携帯でも申し込んだら、すぐに使えるようになる。これが当然のように思うが、マニラに住んで、これらのことがどれだけ価値あることかと認識するようになった。

長屋で朝の身支度する時間帯になると、どこの家も使用するため、奥の家に住んでいると蛇口から水が出てこなくなる。

(実際に1番最初に住んだ長屋に2年前に訪れたとき)

水がふんだんに出なかったら、洗濯機は意味がない。それゆえ、当時は洗濯おばさんなる人がいて、1枚10ペソとかでお願いしたりした。独身時代はバケツを買って、そこに浸けておいて手洗いをしていた。常夏の国なので、脱水をかけなくてもびしょびしょで干しておいても1日ですぐ乾く。干すところが十分あるかどうかも、家を選ぶ基準のひとつにはいってくる。

また、電話が当時は国営?的な会社1社からもう1社参入したが、いずれにしろ申し込んでから数年経たないと電話がつかないと言われていた。ゆえに家を借りるときは、電話付きを探さないといけなかった。考えてみて欲しい、家を見にいって、ここの電話は?ああ、隣の大家さんのところのを借りるのね。9時までなら使用可。はい朝は?6時から可能ね。なんて会話がトイレやキッチンを見ながら繰り広げられるのだ。英語にしろタガログ語にしろ、上達せざるを得なかった状況がわかるだろう。

またフィリピンはインフラにガスはなく、電熱器かプロパンガスになる。2年前に通訳をしたフィリピン人の子は田舎の島に住んでおり、まだかまどタイプといっていた。地方格差もかなりある。

まとめ

8回の引っ越しの詳細は別記事、だから詳しい、マニラ8回お引越しに書いているが

にするが、フィリピンでより快適な生活、より自由な生活を求める時期だったことは間違いない。

基本的にフィリピンでは2ヶ月先払いの2ヶ月分預け入れというのが引っ越しをした際の支払いだ。これが大家さんによっては1ヵ月で済むこともあり、預け入れた家賃は出ていく前に使い切ることになる。したがって引っ越し貧乏というほどのことはない。後半の荷物が増えてからはトラックを借りてきて引っ越しをしたりしたが、最初のころはタクシー1台で済む程度の家財道具であった。その気楽さもあって、より自分のその時のライフスタイルにあった場所を探していたともいえる。

これだけ引っ越しを繰り返すと、そのために探した家の数も相当である。おかげでマニラの通りもずいぶん覚え、地名にも詳しくなった。これは、現在も通訳する際にマニラの〇〇出身と聞くとだいたいのカラーをつかむのに役立っている。銀行業務の際にも、マニラ周辺支店の場所を、社員の中で誰よりも早く確実に地図から見つけ出し、近くのランドマークとなるデパートなどを挙げることが出来た。ほかにも、タガログ語のスラング多い目でも大丈夫な若者世代や、閑静な住宅街地域の人は英語のフレーズ多い目などの区別もできる。また、マニラ出身と地方で言葉の使い方が違うことも、下町の地方出身者が多い地域で学んできた。

ただ家を移ったのではなく、その時々に真剣に人と出会い交流してきたので見えない財産を経験の中で作り出してきたようだ。

そんなわけで、私の引っ越し歴は転んでもただでは起きない、副産物だらけの経験の宝庫である。

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