フィリピンのジプニー(ジープ)に乗らずしてフィリピン通は語れない

フィリピン

フィリピンを訪れたことのある人はマニラやセブの大渋滞に辟易としたことでしょう。ましてやその黒々と巻き上げる排気ガスに眉をひそめたのではないでしょうか?行先もどこに書いてあるかわからないし、人は密着して座っているし…ですが、もしあなたがフィリピン通と自称したいのであれば、少なくとも1度は体験してほしい乗り物です。

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ジプニーは造語、その歴史は第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、アメリカは植民地であったフィリピンから去っていく際に軍用のジープを放置していきました。このジープを改造して、後ろに人が乗れる座席を作り、乗客を乗せて走る乗り物へと進化しました。この乗り物を、当時アメリカではタクシーの代名詞であった”jitney” と合わせて”jeepny” と呼ばれるようになりました。

この写真はあとで出てくるSarao motors の中にあるジプニーです。1番最初のころのジープから再現されたモデルです。この形から、後ろの座席を伸ばして現存の形に変化していったのがフィリピンのジプニーの特徴です。

Sarao Motors の事務所内に掲げられていた写真です。(撮影許可済み)写真の撮り方といい、king of the road 道の王様、と呼ばれるほどに生活の中心で走っていたのが想像できますよね。

日本では車の台数や乗り物の種類や割合の数字がすぐに統計として調べられるのですが、フィリピンでは残念ながらまだ確立されていません。ゆえにジプニーのはっきりとした数を掲載できません。ネットで現在約60,000台がフィリピン国内で使用されていると書いていた人がいましたが、出典も記載されていないのではっきりとはわからないままです。わかり次第、また編集していきます。

ジプニーと言えばSarao Jeapney

ジプニーが大衆の足であった時代にはかなりの数のジプニー会社や工場が、時代の移り変わりの中で閉めていき、現在も健在で供給している会社の大手はSarao motors サラオ モーターとなりました。

戦後の1952年、創設者のレオナルド・サラオ氏はカレッサと呼ばれる馬車の運転手で、700ペソの元手で始めたのがこの会社です。現在もラスピニャスに工場と会社があります。

初代創設者がこのカレッサの運転手から始まっていたこともあり、工場では数は少ないがカレッサも作り続け、展示もしているとのこと。現在ではオールドマニラ周辺などの観光客向けにしか使用されていませんが、これもフィリピンの風物詩のひとつともいえます。

日本の中古エンジン等を輸入して、フィリピン仕様のジプニーに作り替え、より丈夫なジプニーはフィリピンで人気を博していきました。1990年代後半に日本では規制の対象になり使用できなくなったものが大量にフィリピンに輸出されたため、フィリピンでも大気汚染が非常にひどくなりました。

いかにシンプルなつくりの車か、この運転席から伝わってくるとおもいます。

2000年に入ってからフィリピンでも環境汚染に対して厳しくなり、ほかの形の公共の乗り物へと変遷していったため、Sarao も規模を縮小せざるを得ない状況となっています。

ジプニーは国のシンボルでもありアートでもある

1964年のニューヨークで開催されたワールドフェアーのフィリピンパビリオンで展示されたのが、上記Sarao  のジプニー。また、1971年にイギリスでもフィリピンの代表の乗り物としてヨーロッパで紹介されました。ニューヨークのイエローカブ、イギリスの地下鉄、フィリピンのジプニーとして国を代表する乗り物になっています。

ジプニーが生活で使用される乗り物であると同時に、その存在を認められるのはデコレーション、ボディーに書かれる絵や装飾です。

Jeapney Artist と呼ばれるジプニーに絵を描いている人の動画があります。

この動画の前半はバスコンダクター、切符を切る人です。後半紹介されているのがジプニーアーティストです。フィリピン人は一味違うよね、とタイトルでうたい、一味違う仕事と一味違う生活として紹介しています。

ジプニーには公共の乗り物として使われるものと、個人の乗り物として使われているものがあります。そのいずれも派手な絵が描かれていますが、個人の乗り物として使用されるジプニーには名前や持ち主の希望の絵が描かれたりしています。

動画の中で、絵を描くことは自分に与えられたギフトでもあり、そのことで家族の3度のご飯を食べさせていけることに生きがいを感じていると語っています。

フィリピンのジプニーの未来

2016年にSarao Jeapneyを訪れた際に、当時社長の Ed Sarao 氏の4代目にあたる息子さんが大学のプロジェクトで作ったんだと、見せてくれた車がありました。

排気ガスもクリーンになって、未来をけん引する車になると、紹介してくれました。フィリピンでは台風が来ると道に水があふれるが、浸水にも強く、暑さにも対応できるエアコン付きだ、ただし開発費もかかっているし、コストがかなりかかるんだけどね、と笑いながら紹介してくれました。同級生はみんなデザインまでだが、息子は実物まで作ったんだとも語っていました。

2012年9月の新聞社インクワイラーのweb記事で、ついにクリーンなジプニー登場するか、というタイトルで取り上げられているのがLPG対応のジプニーです。ただし高額のため、金融機関とタイアップしてこちらの普及に努めるということでしたが、いまだに古いタイプのジプニーが縦横している現状です。

次々と新しい、環境にやさしい車が開発されていきますが、フィリピンの国民の経済事情等を考えると、やはりこれらの車が実用化され、流通するにはかなりの時間が要されると思われます。

さいごに

フィリピンのマニラやセブの渋滞はひどく、モノレールのような電車が開通しても、なかなか解消されていません。主要道路はバスが、そこから派生する道路はジプニーが走るような形になっています。ジプニーの安さと手軽さは、変わらず庶民の足であり、どこに行先が書いてあるのかわからないくらいのゴテゴテの装飾はフィリピン文化のひとつであるのは、この先もなかなか変わらないような気がします。

また、都心では規制も厳しくなってきてはいますが、ジプニーはひとたび郊外から田舎の方へ行くと、人だけではなく荷物も一緒に運ぶライフラインであることに変わりありません。今後どのような変化を遂げていくのか、リアルタイムに観察し続けていきたいとおもいます。

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