生きていくために必要なものはなんですか?
私は水、お金、愛、コミュニケーションの伝達手段。
これがあればなんとかなる。
どれかが欠けると、不便。
当たり前って?
これを体感できていれば、あなたは自分の幸福度のはかり方を知っている人。
わかっていても体感できていないと、ぐちぐち悩む。
何を大事にしたらよいのかわからない人は、
一度すべて手放してみたらいい。
失って初めて気づく、そんなことを早いうちに経験しておくとよい。
蛇口から水が出て、洗濯ができる喜び
アタシにしかできないことが欲しい で書いたが、サンパロックはマニラの中でもかなり土地が低くすぐに水浸しになる。
ちょっと雨が続いただけで、膝まで水がたまることは当時日常であった。
そのくせ、長屋だから奥の部屋に住んでいた私は、
食事時や朝の出勤通学前のシャワー時間帯には水がでてこない。
そう、一滴たりともでなくなる。
蛇口があるのに。
市民プールの更衣室についているような、古ぼけたシャワーはついてるのに。
外は水があふれてるのに。
雨が降ってるのに。
なぜ水がない。
そんな生活を送ったおかげで
水があるって貴重。
自然災害の被災地を経験した人も同じだろう。
飲み水だけでなくて、生活の水があるということはどれだけ恵まれたことか。
アタシってなんぼなん?
べつに身体の値段を言ってるのではない、ので誤解ないように。
自分のスキルを正当に評価できるだろうか?
日本は謙遜する美があるが、
そのくせ低い評価を受けるとがっかりしたり、腹が立ったりもする。
誰に言うわけでもない、自分で自分の価値を正当に価格に出来るだろうか。
私は、最初マニラに来て仕事を頼まれたときに
周りのフィリピン人より高いことに罪悪感を感じていた。
当時1万円が2千ペソくらい、5分の1.
ひと月3千ペソは1万5千円ほどの価値で、働いた。
周りの子たちは9-5時で2,500ペソくらい。
私は午後の4時間くらいで3,000ペソ。
それでも罪悪感。
日本人であることを利用できなかったのは
自分の国籍をネガティブにとらえていたから。
またお金を稼ぐことに対しても罪悪感を感じていた。
今なら、大切な私が働いたらお金が発生するのは当然で、
ほかの人が容易に作り出せない価値を作りだしたら、
それは平均以上の金額をもらっても妥当だということを言える。
経験と努力と結果は、金額に評価されても悪いことではない。
愛とはなんぞや
これは必要なものなのは誰もがわかっているが、少々厄介でもある。
愛情がまわりまわって愛憎になることも多々あり。
愛しているから、の枕詞で
相手を縛り付けたり、傷つけたりすることもあり、
要らないよ、という人もいるかもしれない。
私は4年間のマニラの生活の中で
結婚しようとおもうほど恋をして、
マニラで出産もした。
その選択は、厳格な父の怒りにふれて約2年、
勘当されて、両親と絶縁していた。
恋人から夫、そして娘の愛。
それと引き換えに両親の愛とのぶつかり。
そして、経済的な問題のあとに
夫と別れることになり、帰国。
そんなジェットコースターのような人生を送っている私を
変わりなくいつも心を支えてくれた友人。
愛に振り回され、そして愛に支えられていた。
行動のすべての根源に愛がある。
果てしなくめんどくさくもあるが、生きてる限りこれなしでは喜びもない。
めんどくさいことにほど、意味がある。これテストに出るから絶対覚えておくこと。
電話に携帯にネット環境
私がフィリピンで娘を産んだのが1995年。
そう、ウィンドウズ95が発売され、
いっきにパソコンでネットが普及された時代。
それでもその頃は携帯も出回りだしたくらいで、
今ほどではなく、ネット環境もイマイチ。
マニラで引っ越しをするたびに、電話が最初からついているところでないと、
あとから電話をつけるなんて至難の業。
国際電話も国内電話料金の数倍で、
特別な登録をして割引をしてもらうような時代。
ちなみに、日本のポケベルは数字で文字をあらわすだけだったが、
フィリピンではオペレーターにメッセージを伝えて、
それがポケベルに送られた。
オペレーターに、
Where are you now? I’ve been waiting for you for long time.
(どこにいるの?さっきからずっとまってるんだけど。)
のように伝えて、それが送られる。
たまにオペレーターさんに
Ma’am huag kang magalit. ( 怒っちゃだめよー)なんて諭されたりもした。
今なら、ライン等で即メッセージを送れるし、
SNSで世界とオンラインでつながれる。
この利便性は大いに使うべき。
それ以外は、大丈夫
水、お金、愛、携帯等の伝達手段。
これらがあれば、極端な話、地球上どこでも生きていける。
すごい極論をいってるのは承知の上だ。
そんなの当たり前、ってまた思ったよね。
それ以外のものはおまけ。
生きてるだけで丸儲け、という人がいるが、
本当にそうだ。
なのに、
仕事が、
恋人が、
ダンナが、奥さんが、
悩みがつきないのは、自分の手の中にあるものにちゃんと評価をだしていないから。
お洒落が好きな人は、上記のものにプラスお洒落に関するものがいるかもしれない。
私は本が好きだから、本のない生活は味気ない。
子どもがいたら、必要なものがたくさんある。
でも、ひとつひとつを吟味してみて。
本当にそれが大事なものなのか。
持っているだけの価値のあるものなのか、
自分に問うて欲しい。
まとめ
自分の大事なものがはっきりしている人は
しあわせだ。
なぜなら、何があれば自分はしあわせな感情になるか知っているから。
でも、そのことに気づいていないと、
人の持っているものがうらやましかったり、
持っていない自分に焦りを感じたりする。
だから、満たされていない感で一杯の時は
全て手放してみるとよい。
手っ取り早いのは、フィリピンの島の、リゾート地でないところに行ってみると良い。
ないものがいっぱい。
無理やり、自分の環境をリセットするようなものだ。
そうすると、自分の中で本当に大事なものがわかるだろう。
快適な旅も、リッチな旅も素敵だが、
しあわせ度がマックスでないなら、
ちょっと不便なフィリピンの島に行ってみよう。
水がないかも。
クレジットカードも使えないかも。
Wi-Fiだって不安定かも。
そんな中で、あなたは誰を想う?
何が欲しい?
私はとても恵まれた環境で育った。
経済的に恵まれても不満はたくさんあって、
いろんなものを求めた。
いろんな国にもいった。
でも、幸せの青い鳥は
お菓子の家にも、もりにもいなくて
自分の家の軒先にいたのだ。
すぐ目の前にいても気づかなかっただけ。
だから
しあわせになりたいなら、一度手放してみるといい。
本当に大事なものに気づけるから。
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